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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)18号 判決 1968年2月22日

原告 太田昌孝

被告 東京陸運局長

訴訟代理人 高橋正 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判<省略>

第二原告の請求原因

一、被告は、その管轄区域内のタクシーの営業免許について運輸大臣から権限の委任を受けているものであるが、原告が昭和三九年二月一四日被告に対し道路運送法三条二項三号の一般乗用旅客自動車運送事業のうち一人一車制のいわゆる個人タクシー事業の免許申請をしたところ、被告は、同法一二二条の二の聴聞を経たうえ、昭和四〇年九月二二日付六五東陸自一旅二第二三四三号をもつて右申請を却下した。そこで、原告は、昭和四〇年一〇月二日付で運輸大臣に対し審査請求をしたが、三箇月以上を経過した現在なおこれに対する裁決はない。

二、しかし、原告の免許申請は、道路運送法六条一項各号所定の免詐基準に適合しており、また同法六条の二の欠格事由もないから、右申請を却下した本件処分は違法である。

よつて、右却下処分の取消しを求める。

第三被告の答弁及び主張

一、請求原因一の事実は認めるが、同二の主張は争う。

二、東京都特別区内における個人タクシー制創設の沿革

東京都特別区内における一般乗用旅客自動車運送事業(ハイヤータクシー事業)は、戦後比較的順調に成長し、被告も必要に応じてその免詐を行なつてきたが、昭和二七、八年頃から需要が減少したため競争激化を招来し、事業の経営が困難をきたす情勢となつたので、被告は、その諮問機関である東京陸運局自動車運送協議会の答申に従い、昭和三〇年以来新規の輸送力の増強を一切抑制する措置をとつた。しかし、昭和三二年頃から経済界の活況を反映してハイヤータクシー事業も漸く立直りをみせるにいたり、今度は需要の急激な増加に伴い供給の不均衡が生ずるようになり、いわゆる神風タクシーといわれる無謀運転が世論の非難を浴びることとなつた。そこで、被告は、昭和三四年に前記協議会の答申にもとづぎ新規輸送力として東京都特別区内において二、八〇〇両の増車を認めることとし、昭和三〇年以来停止されていた増車が再開されるにいたつた。ところで、一人一車制の個人タクシーは、従来、企業形態としては対外信用、競争力の面からむしろ好ましくないものとみられ実現しなかつたが、神風タクシー問題を契機として、タクシー運転者がいたずらに収入をふやすことを強要される歩合賃金制への批判が抬頭するとともに、運転者に将来の夢と希望を与えるため個人タクシー制を認めるべきであるとの議論が強力に主張され、これを反映して、昭和三四年の前記自動車運送協議会の答申においても、付帯意見として、個人タクシー制についての方針を早急に決定するよう付記された。このような状況のもとで、右答申前から個人タクシー制の是非について検討を加えていた運輸省は、長年自動車の運転に従事している運転者に夢と希望を与え、ハイヤータクシー業界に新風を注入するという趣旨から、個人タクシー制を採用することに決定し、昭和三四年八月一一日その旨の運輸大臣声明が発せられ、ここに個人タクシー事業に対する免許が行なわれることとなつた。

三、本件却下処分の理由

個人タクシー制が採用された趣旨は以上の上おりであるが、その免許基準を定めた道路運送法六条一項各号の規定は抽象的多義的であるところから、被告は、多数の申請者のうち何人に免許すべきかを判定するため、法によつて被告に委せられた裁量権の範囲内において、個人タクシー制度が認められるにいたつた前記の経緯・趣旨に照らし合目的専門技術的検討を加えた具体的審査基準を設定し、この基準に従つて各申請につき一律公平な審査を行ない、免詐の許否を決定してきた。ところが原告の本件申請は、同法六条一項四号の趣旨を具体化した被告の審査基準のうち、次の二項目においてこれに適合しなかつた。

1  運転歴

審査基準によれば、「運転歴九年以上の者は適格とする。八年以上九年未満の者は運転歴不足だけでは却下しないが、他の事項において劣る場合は却下する。八年未満の者は免許しない。」と定められていたが、これは、個人タクシー創設の目的が長年自動車運転に従事してきた運転者に夢と希望を与える点にあつたことと、運転技術が熱練するには相当年数の運転経験を要するということから、運転歴として一〇年程度が相当であるとの考慮のもとに、これに若干の幅をもたせて右のように決定したものである。しかるに、原告は、昭和三〇年一一月に自動三輸車第二種免許、同三四年二月に普通自動車免許、同三六年六月に大型自動車第二種免許を取得したものであつて、本件申請の計画車両たる自動四輪車と同等もしくはそれ以上の車種の運転歴は本件処分当時まで五年八箇月しなかつた、

2  年令

審査基準は、「年令四〇才以上の者は適格とする。三九才以上四〇才未満の者は年令不足だけでは却下しないが、他の事項において劣る場合は却下する。三九才未満は免許しない。」と定めていたが、この基準は、経済的、家庭的にみた安定性、他業への転業の蓋然性、精神的円熟度年令別にみた交通法規遵守の状況及び交通事故の発生度合などを検討し,更に法人タクシー運転者の労働条件と体力との関係や先に述べた運転歴に関する基準とのかねあいなどを勘案して設定したものである。もつとも、昭和四〇年三月当時までは、年令おおむね四〇才以上の者を適格とするという基準があり、その運用としては、厳格に四〇才以上とはせず、

一時は三五才以上の者も免許の対象になるものとして運用してきたところ、昭和四〇年八月一七日に前記自動車運送協議会から、個人タクシーの適格者としては単に運転技術が優秀であるのみならず、対人的要素をも重視して判定すべきであるが、最近における免許の基準は相当緩和されており、このため質の低下が見受けられるので、個人タクシー制度の健全な発展のため、今後は年令、経歴、法令違反の有無、健康等に関する基準をより厳重に適用すべきである。」との答申がなされたので、被告は、右答申に則り、以後個人タクシーの免許対象者の範囲を原則として四〇才以上の者とし、三九才の者も免許対象とはするが減点すべきものとして運用することとしたのであり、原告の本件申請に適用された前記の審査基準はこのときに定立されたものである。この基準に照らすと、原告は昭和三年九月二日生で本件処分当時三七才であり、右基準所定の年令に達しなかつた。

以上のとおり、原告の本件申請は、被告が適法に定立した審査基準に適合せず、この点から道路運送法六条一項四号の要件をみたさないと認められたので、右申請を却下したものである。

第四被告の主張に対する原告の答弁及び反対主張

一、被告の主張する本件却下事由のうち、原告の運転免許取得の経過及び年令の点は認めるが、その審査基準の合理性並びに原告が右基に準適合しなかつたとの点は争う。

二、被告は、本件申請の却下事由の一として、原告の運転歴が審査基準の定める年数に足りなかつたと主張するが、原告の場合は右基準に適合しているというべきである。すなわち、被告は基準にいう運転歴とは計画車両(原告の場合は自動四輪車)と同等もしくはそれ以上の車種の運転歴にかぎるという見解のもとに、原告が昭和三〇年一一月自動三輸車第二種免許を得てから同三四年二月に普通自動車免許を取得するまでの間の三年余の運転経験年数を運転歴に算入していない。しかし、個人タクシー免許の要件として一定の運転歴を要求する合理的理由は、結局、運転者に十分な運転技能を必要とする趣旨であると考えられるところ、原告は右自動三輸車第二種免許を得て以来現在まで引続き自動車の運転業務(昭和三六年一〇月までは貨物、運送、その後は旅客運送)に従事している者であり、右の第二種免許というのは、自動三輸車の場合でも、旅客運送をなしうる資格であることに変わりはない。そして、道路運送法二七条にもとづく旅客自動車運送事業用自動車の運転者の要件に関する政令(昭和三一年政令第二五六号)をみても、自動三輸車の運転経歴が運転経験に加えられているし、また過去において自動三輸車によるタクシー営業が行なわれた歴史もあり、現在とて自動三輸車によるタクシー営業が禁止されているわけではない(ただ、実際上客がとりにくいのでそのようなタクシーがないだけのことである)。したがつて、原告の自動三輸車第二種免許による運転経歴は当然審査基準の運転歴に算入されるべきであり、これを加えると、原告の運転歴が基準年数をこえることは明らかである。のみならず、原告は、昭和三六年六月旅客運送免許としては最高のものである大型自動車第二種免許を取得しているのであるから、これを先に取得した自動三輸車第二種免許と綜合的に観察すれば、原告の運転歴は十分基準に達しているとみるのが前記の基準設定の趣旨に適合するものであり、これを被告のいうように必らず計画車両と同等もしくはそれ以上の車種の運転歴でなければならないとするのはあまりにも機械的・杓子定規的にすぎるというべきである。

三、次に、本件申請に適用された年令に関する審査基準は、それ自体なんら合理性がない。被告は、免許対象者の年令を四〇才以上と定めた理由を種々あげているが、そのどれをとつても却下当時三七才の原告に適合しないものはないし、また一般的にいつて個人タクシー営業が長時間の肉体労働と臨機に運転しうる技能を主体とし、あとは旅客に対する応待と法規の誠実な遵守が要求されるだけであることを考えると、働き盛りの三〇才台の者こそ個人タクシー運転者としての適格性をもつというべきである。しかるに、被告があえて免許対象者の年令を四〇才以上に制限しようとするのは、運転者足不の時代に既存タクシー会社の運転者が個人タクシーに流れ出ることを防ごうとする業者擁護的・人身拘束的意図によるものというほかはない。個人タクシーは、法人タクシーのために奉仕した運転者に対する恩賞であつたり、運転者の養老院であつたりしてはならないのであつて、現に昭四和〇年八月一七日の自動車運送協議会の答申においても、「個人タクシー事業者は比較的老令者が多い関係から健康を損う者が次第に多くなつている。」と指摘せざるをえなかつたことに注意すべきである。そればかりでなく、被告は、昭和三五年一月に個人タクシーを免許するにあたり年令四〇才以上という基準を設けたが、間もなくこの基準の枠を外し、またはこれを緩和して免許を行なつてきた。このため、昭和三五年七月の免許では四〇才未満の者が七八人も含まれており、その後も昭和四〇年三月までの間に三五才以上四〇才未満で免許を得た者が多数存在する。ところが、原告の場合は、聴聞の際に担当官から年令の点は問題がないといわれていたにも拘らず、その後にいたり突然右の年令四〇才以上という基準か厳格に適用されたのである。これについて、被告は、それまで三五才以上の者も適格としてきた事実があることを認めながら、前記自動車運送協議会の昭和四〇年八月一七日付答申を尊重して、年令の下限に関する基準を厳格にしたものであると主張するが、右答申は直ちに年令四〇才以上という基準を定立する根拠にはならないばかりでなく、そもそも原告の本件申請は右基準を改める以前である昭和三九年二月一四日になされたものであるからこの申請に対し、その後に一方的に原告に不利益に変更された基準を適用することは許されないといわなければならない。けだし、行政庁の定立する基準も広義における行政の法であるから、国民が申請当時に行なわれている広く知られた基準を信頼して、複雑な手続により、しかも費用を要する申請をしたのに対し、行政庁がその後に内部だけで一方的に変更した基準を申請者に不利益に適用して、国民の憲法上の自由を制限することは、まさに権威主義的行政であり、法治主義の原則に違反するからである。

四  もともと、タクシー事業については、定路線を定時に運行することを義務づけられているバス事業とは異なり、免許制をとらなければならないという合理的理由はなんら存在しない。もとよりタクシー事業の公共性をまつたく無視することはできないけれども、運賃計器が完備し、保険制度も発達した現在においては、タクシー数をふやし、事業者の勤労意欲と自由競争にまかせ、必要に応じて事業者の自主規制もしくは適切な行政指導の方法をとるなどすれば、タクシー事業に必要とされる程度の公共性は十分維持できるのであつて、むしろタクシー事業を免許制とし、個人タクシーを極力押さえて、タクシーの絶対数を制限するからこそ、タクシーの乗車拒否が横行し、あるいはタクシーのナンバーが法外な値段で取引されるという異常な事態が生じているのである。こうした考えが決して原告の独断でないことは、すでに昭和三八年八月二四日行政管理庁がタクシー事業について現行の免許制を許可制に改めるよう運輸省に勧告し、また、同年九月一九日の関係次官会議においても許可制に近い免許制をとることを決定している事実、更には近時の有力な新聞論調などをみても明らかであり、それにも拘らず、運輸当局が、これらの勧告や世論を無視して免許制を温存し、とくに個人タクシーに対する免許の制限をいつそう強化しているのは、官僚の権力意識や既存の法人タクシー業界との腐れ縁があるからにほかならない。このような誤つた免許行政は国民の職業選択の自由を不当に侵害するものというべきであり、したがつて、タクシー事業の免許制を前提とする道路運送法六条一項の規定を適用した結果、先に述べたような原告の申請まで却下されるというのであれば、同条は、少くとも個人タクシーの免許に関しては憲法二二条一項に違反し無効であるといわなければならない(なお、タクシー事業については、戦前においても実質的に許可制がとられていた)。

第五原告の主張に対する被告の反論

一、道路運送法が個人タクシーをも含む自動車運送事業について免許制を採用しているのは次のとおり合理的理由によるものであつて、なんら憲法二二条一項には違反しない。すなわち、タクシー事業は陸上において機動性ある旅客運送役務を提供しているものであつて、その役務の国民生活における重要性を否定することはできないから、当然需要者である国民の福祉を積極的に増進することを考慮しなければならず、そのためには、役務内容の適切性、役務対価の妥当性、役務提供の義務性及び継続性、事業経営の安定性等が要請される。道路運送法は、これらの要請を実現するために、事業者に事業計画を定めさせ、運賃を認可制にし、運送の引受けを義務つけ、事業の休廃止に許可を必要とするなどの規制を加えることとしこれと、相まつてタクシー事業についても免許制をとり、もつて国民の福祉を積極的に増進しようとしているのである、もつとも、免許制が国民の職業選択の自由に対してかなりの制約を加えるものであることは否定できないが、職業選択の自由といえども福祉国家の理念ないし公共の福祉のためには道を譲るべきであるから、免許制が職業選択の自由を制限することから直ちに免許制を違憲視すべきではなく、要は当該事業を自由放任とすることによつて生ずる事態と、免許制をとつて国家が当該事業に積極的に介入することによつて生ずる事態とを比較考量し、公共の福祉の観点から後者の事態が前者の事態よりも望ましく、後者の事態に一般的合理性ないし必要性が認められるかどうかにある。ところで、個人タクシーを含めた自動車運送事業については、前記のとおり、公共の福祉の面からこれを免許制にすべき十分な合理性ないし必要性があり、これを自由放任とした場合には、免許制によつて実現しようとしている前記の諸要請は崩れ去り、運賃の変動は常なく、必然的に過当競争、倒産等を生じ、ひいては特定事業者の独占支配を招来することが十分考えられ、いずれにしても需要者である国民の利益は現在の免許制のもとにおけるより大幅に無視されることとなるのである。これを要するに、自動車運送事業についての免許制は、国民の福利増進のために適切な対価で需要に応じて適切なサービスをさせるという公共の福祉の観点からとられているものであつて、その結果職業選択の自由に対して制約を加えることとなつても、憲法二二条一項に違反するものということはできない。

二、被告が原告の運転歴を算定するにあたり、昭和三〇年一一月以降の自動三輸車の運転経験年数を加算しなかつたことは、原告主張のとおりであるが、これは次に述べる理由によるものであつて、妥当な措置である。すなわち、自動三輸車と自動車四輪車の運転免許は、以下のとおり法令上異なる取扱いをされて現在にいたつており、それぞれの運転免許取得の資格要件等細目にわた一つて相違がある。

(一)  まず、自動三輸免許は、昭和三五年一二月道路交通法が施行される以前の道路交通取締法、同法施行令の時代には、普通免許、小型自動四車免許とは異別の免許とされ、普通免許、小型自動四輪車免許によつては自動三輸車を運転することがでぎず、また自動三輸免許によつては普通自動車、小型自動四輪車を運転することができなかつた(同法施行令五〇条二項)。これは、自動三輸車と自動四輪車の構造上の差異とそれにもとづく運転技術上の差異に着目して差別を設けたものである。その後昭和三五年一二月道路交通法が施行され、従来の小型自動四輪車免許は普通免許に吸収され、また普通免許を取得すれば自動三輸車を運転できることとなつたが、(同法八五条二項)、なお自動三輸免許は普通免許とは別種の運転免許として存在し、自動三輸免許によつては普通自動車を運転することができないものとされていた(同法八五条二項)。続いて、昭和四〇年の道路交通法の一部改正により自動三輸免許は廃止され、右改正前に取得した自動三輸免許は改正後の普通免許とみなされることとなつたが、右改正前に取得した自動三輸免許によつては、当然には自動四輪車を運転することは許されず、それには公安委員会の行なう審査に合格することを要するものとされている(右改正法附則二条)。

(二)  昭和四〇年の改正前の道路交通法及びその関係法規によれば、同法に定められている普通免許と自動三輪免許との間には次のような相違点があり、普通免許と比較して自動三輸免許の取得は容易であり、運転技術上異質の免許であると考えられる。

1 普通免許により運転することができる自動車の中には自動三輸車も含まれるが、自動三輸免許により運転できる自動車のなかには普通自動車は含まれない(昭和四〇年改正前の道路交通法八五条)。

2 運転免許取得の際の欠格事由をみると、普通免許にあつては一八才未満の者が欠格者とされるのに対し、自動三輸免許にあつては一六才未満の者が欠格者とされる(同法八八条)。

3 前記改正前の道路交通法施行規則二四条三項によれば、自動車の運転に必要な技能についての試験は、免許の種類に応じて同項各号に定める距離を走行させて行なうこととしているが、その距離は大型免許、大型第二種免許普通免許及び普通第二種免許についてはおおむね一、二〇〇米であるのに対し、三輸免許、三輸第二種免許及び二輪免許についてはおおむね七〇〇米とされている。

4 同施行規則三三条によれば、自動車教習所の教習時間の基準は、法令教習、構造教習については差異はないが技能教習については、自動三輸免許が一三時間であるのに対し、普通免許は二〇時間という基準が設けられている。

5 改正前の道路交通法施行令一一条及び旧道路交通取締令一五条においては、普通乗用自動車の最高速度は毎時六〇キロメートルであつたのに対し、自動三輪車のそれは毎時四〇キロメートル(ただし、道路交通法施行令においては、第二種三輪自動車は五〇キロメートル)であつた。

自動四輪車の運転免許と自動三輪車の運転免許との間には以上のようなちがいがある。そして、被告が運転歴に関する審査基準を設けて運転経験を審査の対象としたのは、多数の申請者について個々に計画車両の運転技能を審査することが事実上不可能であり、仮に可能であつたとしても、それではかえつて不公平のそしりを受ける結果を生じないともかぎらないので、計画車両と同等ないしはそれ以上の車種の運転経験をもつて運転技能を推定することとし、かつ、その基準を一律に適用することとしたものである。したがつて、計画車両が自動四輪車である本件の場合には、運転免許制度上前記のような差異のある自動三輪車の運転経験を運転歴に算入しないことは当然であつて、十分合理性のある措置というべきである。

三、年令に関する審査基準について、被告が従来の運用を改め、下限を引き上げたのは、たしかに原告が免許申請をした後のことである。しかしながら、被告は、従前から、年令はおおむね四〇才以上の者を免許対象とする旨の公示を行なつたのみで、三五才以上の者を免許対象として運用していた当時にもその旨を公示したことはないから、これを三九才以上に引き上げたとしても、いつたん申請者に対して賦与した法的利益を奪うというような問題を生ずる余地はない。また、実際問題としても、被告は、昭和四〇年八月一七日の自動車運送協議会の答申に則り、早急に審査基準を厳正にし、良質の輸送力を供給して、個人タクシーに対する一般の好評を維持すべき立場にあつたが、当時は約五、〇〇〇件に及ぶ個人タクシーの免許申請が提出されており、折から」タクシー業界も不況のきざしを見せはじめ、いたずらに輸送力の増強を実施することが許されない情勢にあつたため、需要との相関関係を検討しながらその都度需給の見極めをつけつつ増強するという必要性に迫られており、このような情勢下において、多数の手持案件を一時に処理して、しかる後に年令基準を引き上げるのでは需給のアンバランス、個人タクシーに対する処分のみの独走という結果を生ずることが明らかであり、かくては答申の意図が水泡に帰することは必至であつた。そこで、被告は、答申の趣旨の実現をはかり、その要請に応えるため、当該時点において申請中のものから改正基準を適用する措置をとつたのである。

第六証拠<省略>

理由

一  原告が管轄区域内のタクシーの営業免許について運輸大臣から権限の委任を受けている被告に対し、昭和三九年二月一四日道路運送法三条二項三号の一般乗用旅客自動車運送事業のうちいわゆる個人タクシー事業の免許申請をしたところ、被告が昭和四〇年九月二二日付六五東陸自一旅二第二三四三号をもつて右申請を却下し、これに対する原告からの適法な審査請求につき三箇月以上を経過した現在まで運輸大臣の裁決がなされていないことは、当事者間に争いがない。

二  ところで、道路運送法は、個人タクシー事業を含む同法三条所定の自動車運送事業の経営につき、各人の自由になしうるところとせず、一定の免許基準のもとに運輸大臣がこれを免許するものとしているが、(四条、六条)、この種の事業、ことにタクシー事業について免許制をとるか、あるいはいわゆる許可制をとるかは結局において立法政策の問題であつて、同法一条に掲げる法の目的と、現在のわが国の交通及び道路運送の実情からすれば、同法が前記自動車運送事業一般につき免許制を採用したことをもつて直ちに憲法二二条一項に違反するということはできない。しかしながら、タクシー事業について免許制をとること自体が違憲でないにしても、その免許の許否が国民の職業選択の自由にかかわるものであることは否定しがたいところであり、しかもその免許基準を定めた同法六条一項各号の規定がきわめて抽象的・多義的であることにかんがみると、多数の申請者の中から少数特定の者を選択して免許の許否を決定する行政庁としては、申請の審査に先だち、あらかじめ内部的にもせよ右各号の趣旨をある程度具体化した審査基準を設けて、その公正かつ合理的な適用によつて適格者を判定すべきことが要請されるものというべきであり、もし右基準の定立やその適用において不公正や不合理があれば、そのような手続によつて行なわれた処分は違法であるといわなければならない。

三  本件において、被告は、原告の本件免許申請が運転歴と年令の二点において被告の審査基準に適合せず、同法六条一項四号の要件をみたさなかつたと主張するので、まず、右運転歴の点について判断する。

いずれも成立に争いのない<証拠省略>を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

被告は、昭和四〇年に原告の本件申請を含めた多数の個人タクシーの免許申請を処理するに先だち、同法六条一項四号の要件を具体化した内部的審査基準を定め、その一として、「運転歴が九年以上の者は適格とする。運転歴八年以上九年未満の者はそれだけでは却下しないが、他の事項において劣る場合は却下する。運転歴八年未満の者には免許しない。」との基準を設けたが、運転歴に関してこのような基準を設定した趣旨は、昭和三四年以降個人タクシーの免許を認めるにいたつた目的のひとつが、長年自動車運転の業務に従事した者に経営者となる夢を与える点にあつたことと、当該申請者の計画車輌についての運転技能が十分であるためには相当長期の運転経験が必要であるという二点から、おおむね一〇年程度の期間を基準とするのが妥当であるとの考慮にもとづくものであつた(運転歴おおむね一〇年以上という基準は従来から公表されていた)。一方、原告の申請に係る計画車輌は自動四輪車であつたところ、原告は、昭和三〇年一一月に自動三輪車第二種免許、同三四年二月に普通自動車免許、同三六年六月に大型自動車第二種免許をそれぞれ取得し(右免許取得の経過は当事者間に争いがない)、昭和三〇年一一月から同三六年一〇月までは訴外東京運輸株式会社に勤務して貨物運送に、その後は現在まで訴外東光自動車株式会社に勤務して旅客運送(タクシー)に従事している者であり、計画車輌たる自動四輪車もしくはそれ以上の車種の運転経験としては、普通自動車免許を取得した昭和三四年二月から計算しても本件処分当時まで六年八箇月しかなかつた。そこで、被告は、前記基準にいう運転歴とは計画車輌と同等もしくはそれ以上の車種の運転歴にかぎるとの見解のもとに、原告の運転歴が右基準に適合しないものと認め、この点から原告の本件申請は同法六条一項四号の要件を欠くと判定して、その免許申請を却下した。

以上のとおり認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実によれば、被告があらかじめ具体的な審査基準を定立し、これにもとづいて原告の本件申請を審査し、かつ決定したことは明らかであり、また、右審査基準が前記のような理由から所要の運転歴を最低八年以上としたことも、その定立自体において、同法六条一項四号の定める免許基準の趣旨を逸脱した不公正あるいは不合理なものということはできない(自動車運転業務に長年従事した者に希望を与えるという目的から個人タクシーの免許を行なうことが政策として許されないとはいえないし、また、個人タクシーの場合は、運転者みずからが事業経営者でもあることを考えると、法人タクシーの運転者に基準のような運転歴が要求されていないことと異なる取扱いを受けるのもやむをえない)。

そこで、右運転歴に関する基準の適用について検討するのに、原告は、原告が昭和三〇年に取得した自動三輪車第二種免許も旅客運送をなしうる資格であるから、この免許期間を基準の運転歴に含めなかつたのは誤りであると主張する。たしかに、右免許があれば自動三輪車による旅客運送をなしえたこと並びに自動三輪車によるタクシー営業が法律上禁止されていないことは原告主張のとおりであるが、過去において自動三輪車によるタクシー営業が行なわれた実例があるかどうかはともかく、少くとも原告が自動四輪車によるタクシー営業を計画している以上、計画車輌についての運転技能の判定を目的とする前記基準設定の趣旨からいつても、自動四輪車と同等もしくはそれ以上の車種の運転経験によつて原告の運転歴を計算することはなんら不合理なことではない。ところで、自動三輪車と自動四輪車の運転を比較してみると、昭和四〇年六月一日法律第九六号による改正前の道路交通法、同法施行令、同法施行規則、更にはそれ以前の道路交通取締法、同法施行令等においては、自動三輪車と自動四輪車の構造上及び運転技術上の差異に着目して、自動三輪免許と普通自動車免許との間に被告の指摘するような各種の差別(事実摘示欄第五の二記載のとおり)を設けており、前者を後者より一段低い等級の運転免許としていたことが明らかである。もつとも、前記道路交通法の一部改正後は、同法上自動三輪車と普通自動車の区別が廃止されたことに対応して、自動三輪免許なるものがなくなり、右改正前に取得した自動三輪第二種免許は改正後の普通自動車第二種免許とみなされることとなつたが(前記改正法附則二条一項)、この改正後においても、改正前に取得した自動三輪第二種免許によつて運転できる普通自動車は自動三輪車にかぎられ、自動四輪車を運転するには公安委員会が行なう審査に合格しなければならないものとされているのであつて(同附則二条三項)、やはり運転免許制度上の格差が認められるのである。このような自動三輪車と自動四輪車の運転免許に関する一連の法の規定からみれば、前記の法改正があつたからといつて、右改正前に取得した原告の自動三輪車第二種免許による運転経験を自動四輪車の運転経験と同等視するのは相当でなく、前者の期間を本件の運転歴に含めるべきであるということはできない。

原告は、更に、もしそうであるとしても、原告が昭和三六年に旅客運送の資格としては最高のものである大型自動車第二種免許を取得している事実と、それまでの運転経験とを綜合的に観察すれば、原告の運転技能が優秀なことは明らかであるから、審査基準が一定の運転歴を必要とした趣旨には十分適合するものであると主張する。しかしながら、審査基準において運転歴を最低八年以上と定めた理由は前認定のとおりであつて、たんに運転技能が優秀でありさえすればよいというものではないうえ、仮に運転技能の点だけを考えてみても、多数の免許申請者について各人の実際の運転技能を個々に審査し、実質的な判定を行なうことは、実際上とうてい不可能であるばかりか、かえつて判定の恣意・不公平をきたすおそれすらなしとしないのであるから、多くの申請者の中から少数の適格者を公平・平等に選択すべき行政庁としては、むしろ一定の運転経験年数を基準として、その間に累積された運転技能を評価するという方法をとることも当然許容されるところであり、なんら不合理ではないというべきである。このような見地からすると、被告が運転歴に関する基準の適用にあたり、計画車靹と同等もしくはそれ以上の車種の運転経験が基準年数に達しているかどうかをいわば形式的に判定することとし、それ以上に運転免許取得の経過等から窺われる原告の実質的な運転技能を特別に斟酌しなかつたことは決して理由のないことではなく、かかる基準の適用を杓子定規的にすぎるという原告の非難は当らない。

なお、原告は、現在の免許行政の背後にきわめて不明朗なものがあるとも主張するが、これにそう<証拠省略>等の記載は本件に関する以上の判断を左右するに足りず、他に一切の証拠を検討しても、本件運転歴に関する基準がその定立や適用において不公正もしくは不合理であつたと認めることはできない。

してみると、結局、原告の本件免許申請は、運転歴の点において被告が適法に定立した審査基準に適合せず、ひいて道路運送法六条一項四号の要件を欠くものというべきであるから、これを理由の一として右申請を却下した被告の本件処分は正当であるといわなければならない。

四  よつて、本件却下処分の取消しを求める原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 小木曽競 佐藤繁)

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